悩みは「心配ごと」と「考えごと」に分ける。

さて、先日こんなことを書きました。


半分愚痴のような文章なのですが、あとあと読み返して考えていました。

それで思ったことは、

愚痴っばっかりだけど、
愚痴ってそもそもいけないことなのかな?

自分の中の感情ってたくさんあって、自分の中にも「多様性」はあると私は思っています。

だから負の感情も大切にしたいと、私は思っているんです。

「愚痴は愚痴を呼ぶ」とか、「負の感情は負の感情を呼ぶ」とか言われていますが。

でも、それはそこにうごめく自分の感情を無視しているからかもしれないと。

ポジティブな感情も、ネガティブな感情も自分の一部です。

だから、見ない事にしたくないんですよ、わたしは。

嫌だなと思ったことは、嫌だと認めていいと思うんですが。
でもそこから、ちょっとひと手間をかけるといいのかもとも思っています。

目次

悩みごとは、「考えごと」と「心配ごと」に分ける

  • 今の自分にできることが一つでもあるなら「考えごとの箱」へ入れる
  • 自分が手出しできないものは、「心配ごとの箱」へ入れる

これだけでもやもやが少なくなるような気がします。

わたしの場合だと、こんな感じで。

どんな料理を作っていいかわからなくて、直前になって緊張したと言うならば、普段から作る献立を意識してみようとか。

部屋が汚いなら、掃除しておこうとか。

憂鬱を細分化しておりました。

すると、自分でどうにかできる部分と、できない部分がはっきりしてきて、うず高くなっていた問題がちょっとかさが減ったような気がします。

ほんのちょっぴりスッキリ。

参考にした本と、相棒のペンとノート。

ガラスペンは、エルバンの「つむぎ」。

インクは、SHIKIORIの桜森。

本は、『さみしい夜にはペンを持て』。

こちらの本は、中学生に向けて書かれたファンタジー要素の強い本ですが、大人も抱えているような「寂しさ」を解決できそうな本です。

言葉を急ぎすぎず、ゆっくりと考える習慣、それが書く習慣に詰まっているものなのかもしれません。

ちなみに、ガラスペンは、思考と書くスピードがのんびりするので、ひとりごとにぴったり。

急ぐと「憂鬱」「めんどくさい」で終わる言葉も、スルメを咀嚼するようにゆっくり噛む。

すると、「憂鬱」「めんどくさい」以外の言葉を紡げるのかも。

わたし、気づいたんですが、将来お料理を孫や父母に自信を持ってふるまえる人になりたいんですよ。

と言うわけで、自分で作れる「ふるまいレシピ」のようなものを増やそうと思いました。

愚痴も、直感とトキメキに変換可能と知れれば、10代の頃のあの見えないモヤも少し解決できたような気がします。

自分なりの考えを紡いでいこうと思います。

書くことは、考えることだそうです。

そんな日記を一つまた一つと増やしていきたなと思った今朝でした。

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