こんにちは。
つい最近、映画TAR ターを観てきました。
ケイト・ブランシェットが演じる天才指揮者のリディア・ターの栄光とそこからの転落の話なのですが。

深かった!!
が、第一印象でした。
詳しい内容はこちらをご覧ください。

リディア・ターは実在するのか。


リディアって存在するの?
観ているうちに、そんな疑問を抱かれた人も多いと思います。
指揮者という権力のもと、パワハラをし、そのことがおおやけになることで指揮者としての地位を失うと言う話なのです。
今の日本のあれやこれやと類似するところがあり、実際に起きた話のような気がしますよね。
しかし、こちらのリディアは、完全フィクションだと監督がインタビューの中で答えています。
最初からケイト・ブランシェットを主演に想定して、書き上げたものだそうです。

ストイックで、傲慢だけど、実は寂しい人
音楽とひたむきに向き合い、ベルリンフィル首席指揮者という栄光も手にいれた一面、
パートナーの電話に出ない、いろいろな人の感情を無視するという傲慢な一面もあったんです。

音楽至上主義だからこそ手に入れられた栄光
なんですがね、
人ってうまくいっている時は、周りにいるんだけれど……。
一旦転落すると、離れていくものなんでしょうね。

どんな時も支えてくれる人に巡り会えるかは、普段の行い次第なのかも。
成功ありきの人間関係は、残るのは「孤独」ですよね。
繊細って、しんどい時があるよね。


ちょっとした物音に苦しむシーンがめちゃ共感
わたしもそういうことがよくあるので、雑音とかが神経が昂っている時は気になります。
だから、貨物列車が走る沿線や国道沿線には住めないんですよね。
リディアのしんどい場面に変に共感してしまいました。
なぜ最後の場面で観客がモンスターの仮装をしていたのか。


なんでラストシーン、観客がモンスターの仮装だったの?
そんな違和感を頂いたのですが……。
シンプルに言うと、ラストシーンの曲が「ゲーム モンスターハンターの曲」だったからです。
確かに、ヨーロッパの円形劇場で、厳かなる演奏でしたよね。
アジアではフラットな劇場で、オーディエンスは若者ばかり、奏でる曲はゲーム曲。
ヨーロッパ→アジア、歴史→新しい文化という変調という風にわたしは感じました。
転落の話と書きましたが。
リディアの人生自体まだ終わっていないので、これからを期待させる話の気がします。

人間万事塞翁が馬
今は、以前に比べると、ついていないと思えるようなことでも、それが機転になるかもしれない。
リディアのヨーロッパの音楽界を追われ、東南アジアに市場を求めに行くという出来事も。

これからどうなるかなんてわからない。
なので、わたしはある意味希望がある終わり方だなと思いました。

新興市場で新しい音楽の融合が見られるかもしれませんよね。
悲観的になると、「ここで終わり、詰まれた!!」と思う出来事も、人生の終わりには捉え方が変わっているかもしれませんよね。
「あれが起こったおかげで、今のわたしがある」そんな風に思えるように小さな歩みを重ねるしかないのかなと思える映画でした。
あとは、普段から人間関係は大切にしたいなとも思いました……。